
チリのチロエ島より吉永ユキさん 日本の家族と音信不通、だれかご存知ですか?情報を待ってます。海外生活は、5年、カナダ、フィリピン、歴訪した国は20か国以上。さて国民性は?
失敗談は、英語での発音の間違い、Wheel をホイールというと?
カナダの中古車の購入後、調子がおかしい、中古車会社のカスタマーサービスと片言英語でのやりとり、こうなったら怒鳴り込み!
チリで出産もされた、ユキさん。聞いたこともないような、ちょっとはてな,なにこれ?な医者、病院からのアドバイス。
北海道札幌市出身。お父さんは警察官、お母さんは専業主婦、離婚後マッサージ屋を経営。
兄が一人。
そのご家族は、今は音信不通に、ぜひ皆さんの力を借りて、家族を探し出したいと、切望されるユキさん。
何の情報でもいいんです。
カナダに来た時に、送りつけられた、ユキさんの荷物を最後にお母さんの消息もなし。Eメールの住所も変更されたとのこと。
小さいな頃は、虫を見せびらかして、友達を驚かせてました。小学高学年で、カンニング説が浮上。テストが高得点が原因。
友達も少なかったし、夢というのもなかったですね。母の意見はいつも強かったです。
高校は、牛のふんが臭う、風変わりな学校でした。
習い事ばかりやってたので、ここでも、クラブ活動はしませんでした。
卒業後は、看護専門学校に進学。親元を離れて下宿。初体験ばかりな嬉しい生活。形態、化粧、夜遊び、お酒、たばこなどなど。
小鳥がかごから出て行ったみたいに、調子に乗ってました。3年で卒業するところをほぼ倍かかって、卒業。
海外へは、井の中の蛙になりたくなく、20歳位の時にオーストラリアへ。
これでも看護婦だったんですよとおっしゃる、ユキさん。
後に、初婚は、ネットで知り合った、韓国人留学生と。カナダ留学を希望する彼についていった。
そこで間もなくして、子宮外妊娠、その手術を機に、ショックから立ち直れず、離婚を決意。
フィリピン語学旅行の直後、日本に立ち寄り、離婚を完了。
カナダに戻り、離婚成立後、慰謝料をもとに、離婚旅行。その後、さらに一人で南下、気が付いたら、チリまで来てしまった彼女。
運命のバス停で知り合った、彼、今のご主人。そのまま転びこむようにして、彼と同棲、妊娠。
ベビータンの寝顔を見るのが、何よりの楽しみ。
長い道のりでしたが、やっと、チリで幸せを見つけたユキさんです。
吉永ユキさんの札幌のご家族の消息の情報をご存知の方は、
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